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いまさら読書『星の王子さま』

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こんにちは。めいです。

 

きょうは、いまさら読書をお送りします。

いまさら読書がどういうコーナーかに関する説明は、第1回目のこちらの記事をお読みくださいm(_ _)m

 

may-work-autonomous.hatenablog.com

 

それでは、始めていきます。

きょう取り上げるのは、サン=テグジュペリ星の王子さまです。

 

 うろ覚え解説からやっていきましょう(`・ω・´)

めいによるうろ覚え解説『星の王子さま

サン=テグジュペリ

・どこかに不時着する

・フランス

以上です。

買い物メモかよ…(-_-;)

この本、本当に、タイトルと作者と不時着することしか知りませんでした(;´Д`)

あと、サン=テグジュペリがフランスの人ってことだけです。以上です。

かなり読み応えありました(^_^;)

気を取り直して続けましょう(`・ω・´)!!そういうコーナーです!!

感想

正確なあらすじ

 サハラ砂漠の真ん中に不時着したパイロットの「僕」は、不思議な少年、「星の王子さま」に出会う。「僕」は王子さまの質問に答えながら、王子さまが住んでいた星の話や、王子さまがしてきた旅の話を聞くことになるのだが・・・。

 

まとまった(●´ω`●)

短いお話で、1日で読もうと思ったら読めるのですが、あらすじをまとめるとなるとなかなか難しいお話でした(´・ω・`)

関係ないけど気になったこと:「=」って何?

今回気になったのは、サン=テグジュペリの「=」です。なんでわざわざ「=」を使うのでしょう(・ω・)?「・」と何が違うのでしょうか。

調べてみたところこちらの記事を見つけました。

http://ncode.syosetu.com/n6704dp/

 

どうやら「複合姓」というフランス特有のものがあるようですね。二つの姓をまとめて一つにしていることを表すときに「=」を使うようです。

「サン」という姓と「テグジュペリ」という姓を一つにして「サンテグジュペリ」という姓なので、「サン・テグジュペリ」としてしまうと一つと認識されないということのようです。

初めて知ったφ(..)メモメモ

 

それでは、本編の感想に移りたいと思います(`・ω・´)

感想①むっっっっっっっっっっっっず!!

しょっぱなにこれはどうかとも思ったのですが、これが本当に素直な感想なのですよね(´・ω・`)

 

難しくないですか、この本。

 本当に大切なことって何ですか。

 

実は、難しいな、よく分からんなと思って、違う訳者のものをもう一冊読みました(^_^;)

↑に貼った内藤濯さん訳のものを最初に読んだのですが、「分からん(´・ω・`)」と思って浅岡夢二さん訳バージョンも読みました。

 

↑こちらです。

私はこちらの浅岡さんバージョンのほうがやや読みやすいなと思いました。

それでも「やや」です(;´∀`)

さっきあらすじをうまくまとめられなかったのも難しかったからです(´・ω・`)

私の読んだ印象では、「物語のような寓話集」という感じです。ストーリーがあるように見えるのですが、一つ一つの話が全て寓話のように思えました。

それぞれの話が何かを表しているのですが、その何かをうまく言語化できなかったので「難しいな」と感じたのだと思います。「何が言いたいの?」と考えながら読まないといつの間にか終わっている、分かるようなわからないような、という感じです。

考え過ぎなのでしょうか…

私には結局、本当に大切なこととはどういうことなのか言語化できませんでした

まじでこの本を「分かる!」「こういうことだよね!」と思いながら読める人がいたら解説してほしいと思いました。

今回は完全に理解できたとは到底思えないのですが、そんな中でも感じたことや思ったことを書くことにしようと思います。

感想②王子さまが帰っちゃうところは泣けた 

このように「よく分からん」と思いながら読んではいたのですが、それでも王子さまが星に帰ってしまうシーンは胸にくるものがありました。

ここはただ読むだけで大丈夫です。大切な人との別れのシーンとしてかなり感動的でした。

「王子さまと別れるの悲しい」と思えたということは、私は本当に何も分からず読んでいたわけではなかったのかな?という淡い期待も持てました(^_^;)

何かしらは感じることができたのだと思います。

 感想③大切なものが目に見えないなら、私たちはどうやって分かり合うのか

キツネは王子さまに「本当に大切なものは目に見えない」「ハートで見るんだよ」と言っていました。王子もまた、バラの言葉でなくて行動を見るべきだったと言っていました。

何となく言っていることは分かります。表面に見えていること以上に大切なものはあると思います。

「僕」が描いた象を食べたボアの絵の話はまさにその象徴です。「僕」が本当に分かってもらいたかったのは、あの絵が象を食べたボアの絵だということだったけれど、大人はそれに気付かなかったし、理解しようともしませんでした。

理解しようともしてもらえないのはとても悲しいことです。物事の結果だけ見て判断する大人はたくさんいます。生じてしまった悪い結果だけを見て、その結果を出した人を責めます。盗人にすら三分の理があると言われているのに、善良な人の一分の理すら考慮しようとしない人もいるのです。

私も昔働いていた職場でそんな経験をしました(´・ω・`)一方的に責められて、私だけが悪いことにされてとてもつらい経験でした。

それ以来、私は「まずは背景を知ろうとする人になろう」と努めています。「僕」もそんなふうに「背景を知ろう」「きちんと理解しよう」と向き合ってくれる人を求めていたのだと思います。

でも、理解してもらうことだけを求めるのはちょっと不公平じゃないかと思います。

だってあの絵、帽子に見えますよね?

帽子に見えた絵を帽子だと言うこと自体は悪いことではないと思います。

あのとき、帽子だと思った人が「僕」の反応を見て「おや?これは帽子じゃないのか?じゃあ何なんだ?」と理解しようとすることだけではなく、「僕」自身が「帽子じゃないよ!ボアが象食ってんだよ!」と言って理解してもらおうとすることも必要だったと思うのです。

相手を理解しようという気持ちと、相手に理解してもらおうという気持ちが同時にあるときに私たちは分かり合えるのではないのかなと思いました。

「僕」は理解を求めてばかりで、理解してもらおうという気持ちがちょっと足りないのではないかと思いました。

でも、あまりにも相手に理解する気がなさそうだと心が折れちゃうのも分かります( ^_^ ;)

理解する気がない人や、理解しようとすることを忘れてしまう人が多いからああいうふうに書いたのかなとも思いました。

それでもやっぱり私は、分かり合うのは相互作用だと思います。

感想④私は大人になったけど悲しくないぞ

物語を通して、「僕」は大人になることを悲しいと思っているように感じました。王子さまを忘れたくないというのは、子どもの心を忘れた大人になりたくないということなのかなと思いました。

さっき書いたような、分かり合う気のない、結果しかみない大人、王様、うぬぼれ屋、酒飲み。ああはなりたくないと感じる大人もたくさんいます。

でも私は、大人になってしまったことは全然悲しいと思いません。

それは多分、自分がサン=テグジュペリが書いたような大人ではないからです。少なくとも「ああはなりたくない大人」にはなっていないはずです( ^_^ ;)

「僕」だって「ああはなりたくない大人」では全然なかったと思うのですが、なんであんなに大人になることを悲しんで恐れているのだろうと不思議に思いました。

「ああはなりたくない大人」がどんなものなのか分かっていれば、大人になるのは全然悲しくないと思いました。

きっと地球には、王様でもうぬぼれ屋でも酒飲みでもないけれど、そういう人たちのことを「そういう人もいるよね」と思える大人がたくさんいると思います。サン=テグジュペリが数えなかった大人がいるのではないかと思いました。

おわりに

きょうのいまさら読書は『星の王子さま』をお届けしました。

解釈本とか探したらありそうなので読んでみようかなと思っています(;´∀`)

私一人では全てを理解できませんでした(ヽ´ω`)

また解釈本を読んだらそれはそれでレポートしようかなと思っています。

 

きょうはこれでおしまいです。

また来てくださいね!