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読書感想文の書き方④構成を考え、組み立てる

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こんにちは。めいです。

 

きょうも、読書感想文の書き方を解説していきます。

読書感想文の書き方に関する記事はこちらから↓

 

may-work-autonomous.hatenablog.com

 

今日を乗り越えれば感想文は完成です(*゚∀゚)

張り切ってやっていきましょう( ・`ω・´)

 

目次

 

読書感想文を書く手順

まずは、読書感想文を書く手順のおさらいです。

①本を読みつつメモを取る

②メモした内容を詳細化する 

③読みやすい日本語に整える

④構成を考え、組み立てる  ←きょうはここ

⑤推敲する

 こんな感じです( ・`ω・´)

きょうは、④の構成を考え、組み立てるについて解説していきます。

 

構成を考え、組み立てる

この段階では、③で読みやすい日本語に整えた個々の感想を、一つの文章として成り立つようにつなげていきます。

「どの順番が読みやすいか」を考えるのが構成で、と「どうやってつなぐか」を考えるのが組み立てです。

構成と組み立てについては、いくらでもやり方があるので、「こうやったら絶対大丈夫」というやり方が示せそうにありません(´・ω・`)

ですので、この記事では、私が過去に書いた感想を題材に、私が考える分かりやすい構成、組み立ての一例をお示しすることにしようと思います(*゚∀゚)

きょうは、『坊っちゃん』の感想を使って構成を考え、組み立てる作業をしてみようと思います( ・`ω・´)

もとの感想はこちらの記事から確認できます(●´ω`●)

 

may-work-autonomous.hatenablog.com

 

どの順番が読みやすいか

各シーンの感想は物語の展開に沿って

感想を書くときは、物語の中の印象に残ったシーンそれぞれについて感想を書いていることが多いと多いのではないでしょうか。

その場合、物語の展開に沿って感想文を組み立てると読みやすくなると思います。

私の『坊っちゃん』の感想では、感想①で書き出しの文について触れていて、感想④で物語の結末についての感想を書いています。

物語の展開に沿えば、感想①の後に感想④が来るようにしたほうが話が分かりやすくなりそうですね。

対比している部分は続けて書く

対比して感想を書いている部分は続けて書いたほうが良いでしょう。

私の感想では、感想①で坊っちゃんの両親について書き、両親と対象的な存在として、感想②で清のことを書いています。ですので、感想①に続けて感想②をつなげたほうが良さそうです。

ここまでで、感想①→感想②→感想④という順番で書いたほうが良さそうなことが分かりました。

全体的な感想は最初か最後

最後に感想③です。

感想③は、言うなれば全体的な感想です。

特定のシーンではなく、物語全体を通しての坊っちゃんに対する印象を書いていますよね(*゚∀゚)

このような全体的な感想は、最初に持ってくるか最後に持ってくるかのどちらかが王道だと思います。

どちらにするかは内容次第ですね(;´∀`)

自分にとってかなり印象深いことや、中心となるような感想の場合は、とりとして最後に持ってきたほうがいいでしょう。

ざっくりとした印象などの場合は、冒頭に持ってきて導入に使うほうがいいかもしれません(●´ω`●)

私が書いた感想③は、「昔読んだときと今読んだときで印象が変わったんです(; ・`ω・´)」という割と強めの感想なので、今回は最後に持ってきてみようと思います。

ということで、感想①→感想②→感想④→感想③という順番で書いてみることにします( ・`ω・´)

 

どうやってつなぐか

構成が決まったら、次はそれぞれの感想をどうやってつなぐかを考えていきます。

組み立ての肝は接続詞

「バラバラの文章をつなぐって難しそう」と思うかもしれませんが、実はそれほどでもありません。

文と文の接着剤である接続詞をきちんと理解していれば、あまり苦労することなくつなげます(●´ω`●)

感想を順番に並べてみて、感想と感想の間に適切な接続詞を入れれば、もうできたも同然です( ・`ω・´)

接続詞に自信がないという方は、この機会に勉強してみましょう(*´ω`*)

接続詞に関する本はいろいろ出ているので、良さそうなものを読んでみるといいでしょう。

 

 

 割とあるんですね(; ・`ω・´)

接続詞だけで本が書けることにちょっと驚きました(;´∀`)

 

接続詞でうまくつなげなければ短文を入れる

 接続詞では感想同士がうまくつながらないなと思ったら、流れをつくってくれるような短文を入れてしまいましょう。

この部分はそれぞれが書いた内容によってどんな文を入れるかも変わってくるので、「こんなふうに書いたらいい」ということはちょっと説明できません(;´Д`)

ただ、接続詞だけで全ての感想をつなげなくてもいいということだけは理解シておいてもらえればと思います(;´∀`)

 

組み立ててみました

最後に、私の『坊っちゃん』の感想を組み立てたものを一応置いておきます(^_^;)

接続詞やつなぎの短文は太字にしてみたので、何かの参考になればと思います(*´ω`*)

 

「親ゆずりの無鉄砲で」は、「吾輩は猫である。名前はまだない」と同じくらい有名な書き出しだ。よく知っている書き出しだが、今回しっかりと物語を読んでみて、不思議な書き出しだと思うようになった。というのも、坊っちゃんの父親と母親に関しては、どちらも無鉄砲そうな描写がないからだ。坊っちゃんの行動に辟易し、坊ちゃんを疎んじている様子は伺えるものの、両親から特別無鉄砲そうな印象は受けないのである。親ゆずりというのは、「親から受け継いだ」という意味だと思っていたので、読んでいて、どちらから受け継いだものでもないのではないかと思い、違和感を覚えた。

  この違和感について私なりに考えてみたところ、もしかしたらこの「親ゆずり」は、「親のせいで」とか「親の愛情不足で」ということをめちゃくちゃに皮肉って言っているのかもしれないと思うようになった。そう思うぐらい、両親の坊っちゃんへの態度は冷たいと感じたからだ。母親は叱るばかり、父親は無関心という感じで、読んでいてかわいそうに思った。

  そのような関係性が見えてくると、今度は坊っちゃんの無鉄砲さが違うものに見えてきた。坊っちゃんは確かに無鉄砲でもあるのだが、私には、その坊っちゃんの無鉄砲さが意地を張っているようにも強がっているようにも見えてきたのである。子どもの頃は特にそうで、何か言われたら考える間もなくやり返していて、もはや反射のようだった。結果として母親か父親にひどく叱られることになるのだが、そういうやり方ぐらいでしか両親と関わる方法がなかったのではないかと思った。坊っちゃんはただの無鉄砲と言うより、とても不器用で素直でない関わり方しかできない人だったのだと思った。結果的には親からも良い関わり方はしてもらえておらず、心底不憫な幼少期だと思った。

 そんな両親と対照的な存在として描かれているのが、女中の清だ。坊っちゃんは親からもあまり愛情を与えてもらえず、就職してからも理不尽な扱いばかり受けることになる。ずっと「どうか報われてくれと」祈りながら読むほどだった。そんな物語の中で、清は唯一の救いのように感じられた。最初、坊っちゃんは清のことをかなりけなしていた。「教育を受けていないからしょうがない」みたいなことを言っていて、「あんなに特別扱いしてもらっているのにちょっと言い過ぎだろう」と私は勝手に腹を立てていた。しかし、清と離れて働く中で、坊っちゃんもだんだんと清の素晴らしさに気付くことができていたので、そこは本当によかったなと思った。

 また、清から向けられる愛情に対して「なんで自分をこんなに持ち上げるのか分からない」と感じる坊っちゃんの感覚の裏には、自信のなさがあったのかもしれないと思った。あんなに怒らてばかりでは、どれだけ強がっていても自信はなくなってしまうだろう。そんな坊っちゃんに気づいていたかは分からないが、盲目的なぐらいひたすら愛情を注いでいた清という存在は本当に尊いと思った。

 物語の中で坊っちゃんが清の優しさや愛情に気付けたのは、赤シャツと野だいこがあまりにも卑怯で嫌な奴らだったからだ。正直、赤シャツと野だいこはもっとがっつりこらしめて欲しかった。殴って卵を投げつけてという、暴力的な制裁も、私はあまり好きではなかった。うらなりも辞令を受け入れて去ってしまいましたし、坊っちゃんヤマアラシも辞めてしまったのに、恐らく赤シャツと野だいこはそのまま学校に残っていて、スカッとはしない結末だった。妙に現実的だとも思った。あの当時の技術ではとても無理なのだが、もっと明確な証拠を集めてさらして、社会的な制裁を受けてほしいと思った。

 こんなふうに思ったと同時に「この気持ち、最近の不倫した芸能人に対する気持ちと似てないか?」と思ってはっとした。赤シャツとのことも芸能人の浮気も、自分は当事者でもないのに腹が立って、「謝れ」とか「何かしらバチが当たってほしい」という気持ちになっていたことに気づいた。なぜ当事者でもないのにこんな気持ちになるのか考えてみたのだが、多分、自分の道徳観に合わないことに直面させられているからではないだろうか。自分の道徳に照らして悪いことだと感じるから、自分のことでなくても腹が立つのだと思う。しかし、だからといって私が「謝れ」「報いを受けろ」と思うのは正義なのだろうかと思った。何がいいとか悪いとか、とやかく言える立場ではないし、そもそも私は当事者ですらないのだ。よく考えればそうだと気付けるのだが、そんなことを考えるより先に心が動くぐらい、自分の道徳観が脅かされることは大変なことなのだと思った。だからこそ、自分が当事者でないことの評価には冷静にならなければいけないと思った。坊っちゃんは結局、自分のことを一番大切に思ってくれていた清のもとに帰り、幸せになれたようだった。自分の道徳観に照らしてどうかということよりも、当事者が幸せなのかどうかということが一番大切なのかもしれないと思った。

 ところで、私は遠い昔、小学生の頃にも『坊っちゃん』を読んだことがある。そのときの私は、坊っちゃんのことを「自分勝手でムカつくやつだ」と思っていた。ストーリーは全然覚えていなかったのだが、この印象だけはかなりはっきり覚えている。

 当時なぜそんなふうに感じたのかを考えてみると、坊っちゃんが集団の中でうまくやろうとする努力をあまりしていなかったからだと思う。小学生の頃の私は、学校では「集団の中でうまくやれること」が良いことだと思っていた。問題を起こさないようにすることは、学校生活を無事に過ごすのに不可欠なことだった。だから、空気を読まずに校長に思ったことをそのまま言ったり、赤シャツに釣りに誘われたのに、釣りをせずに寝そべったりと失礼なことをする坊っちゃんが「自分勝手でムカつく」と思ったのだと思う。

 また一方で、小学生の私は坊っちゃんがうらやましかったのだとも思った。学校生活を乗り切るには、好きなことや興味のあることでなくても何となく話を合わせたり、なんだか合わないと思っても、誰かと行動したりしないといけなかった。私は、本当はそういうことがとても苦手だった。それでも適応しようと無理して頑張っていた私には、自由で率直に見える坊っちゃんがうらやましく、妬ましく思えてムカついたのだと気づいた。

 小学生の頃はそんなふうに思っていたが、今回改めて読んでみて、今の私は坊っちゃんのことを「可愛い」と思うようになった。『坊っちゃん』は主人公の一人称で語られるので、言うなればほぼ「坊っちゃんの頭の中」で構成されている。坊っちゃんは、いろいろな人や出来事をボロクソに言っているのだが、実は、それは大体「坊っちゃんの頭の中」だけで言われていて、言葉として相手に発せられていることは少ない。しかも、坊っちゃんは、大事な場面ほど自分の言いたいことが言えない。職員会議でもちゃんとしゃべれなかったし、赤シャツにも論破されて言い返せなかった。真っ直ぐな思いがあるのに、口下手でそれが伝わらず、損ばかりする。こんな坊っちゃんの姿を想像して、何だかとても愛おしいなと思った。そして、もしかしたらこれが清の気持ちかとも思って、そりゃ可愛がりたくなるわと思った。

 

 

おわりに

きょうは、読書感想文の書き方のうち、「構成を考え、組み立てる」について解説しました。

きょう紹介した構成や組み立ての方法は、あくまで一例です(;´∀`)

書いた内容などによってつなぎ方はいくつもあると思います。

接続詞などに気を付けながら、きれいな文章を目指してつなげてみてくださいね(●´ω`●)

私の例が何かの参考になればうれしいです(*´ω`*)

 

きょうはこれでおしまいです。

また来てくださいね!