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日常~センター試験の思い出と大学入学共通テストについて思うこと~

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こんにちは。めいです。

受験生の方、センター試験お疲れさまです。

私がセンター試験を受けたのはもう10年以上前ですし、周りに受験生もいないのですが、ニュースを見ていて思うところがあったので、きょうはセンター試験について、思い出と共にお送りしたいと思います。

センター試験の思い出

私が試験を受けたのは10年ほど前で、リスニングが導入されて間もない頃でした。友人は、耳の形のせいなのか、模試で何度やってもイヤホンが外れてしまったそうで、「ヘッドホンにしてほしい…」と嘆いていました。でも、リスニング導入のときは最近の騒ぎほどは混乱もなかったような気がします。ちなみに、申請すればヘッドホンで受験できるんですね。

私は流れに任せてぼんやり過ごしていたのですが、先生がたは思ったよりぴりぴりしていたのかもしれません。高3のときにお世話になった社会の先生は、試験の日に学校にいたそうなのですが、「リスニングの試験中はエアコンを切って静かにしていた」と言っていました。リスニングは他の試験と違って、途中で問題が起こっても止めにくいので、リスニング中に停電でも起こったら大変と、電力を食うエアコンを切って、寒い中じっとしていてくれたそうです。試験後に聞いてびっくりしました。そこまでしなくてもと思いましたが、そこまでしてくれたのか、とも思いました。ああいうふうに生徒を第一に考えてくれる先生に支えられていたんだな、と今は思います。

肝心の試験内容に関しては全然覚えていないのですよね…文系だったので、国語や英語、歴史はそこそこ頑張ったと思うのですが、数学はとにかく駄目でした。数学IIBが特に分かりませんでした。ⅠAは、試験前に詰め込んだら自分としては良い点が取れるようになったのですが、ⅡBは全く歯が立たず。分からなかった問題は全て「2」をマークしました。それで2点ぐらい取れたんですよね。何事も諦めないことは大事だと思った覚えがあります。

あとは、寒さ対策をしっかりしろと口酸っぱく言われていたので、全身にカイロを貼っていった気がします。ただ、窓際の席だったので、結局暑くて試験が始まる前に慌てて全部はがしました。何やってんだって感じですよね。それでも緊張はしていたようで、朝めちゃめちゃ早く目が覚めて、その当時で10年ぶりぐらいにアンパンマンを見てから会場に向かった気がします。

まじでどうでもいい思い出しかないですね(-_-;)こんな適当な感じでも何とか大人になれるもんです。大丈夫、ちょっと失敗したからってめげないで。死ななきゃ何とかなりますから。

大学入学共通テストについて思うこと

今年は実施方法がなかなか確定せず、当事者の方は本当に大変だっただろうなと思います。ニュースでしか見ていませんが、私が思ったことを少し書いてみようと思います。

「負担軽減」はどこへ?

そもそも、センター試験やその前身の共通一次試験が導入されたのは、受験生の負担軽減のためだったはずです。それなのにいまさら記述式試験を導入して負担を増やすのはなぜだろう、というのが私の率直な感想です。私が受験した頃を思い出してみると、「センター試験足切りに使うもの」という感覚でした。また、国公立が第一志望だった私としては「私大をセンター利用で受けて楽に滑り止めを得て、本命のための勉強に時間を使いたい」という感覚もありました。実際、私は滑り止めの私大はセンター利用入試で合格し、国公立にも合格できました。第一志望は落ちましたが(^_^;)

それはさておき、そこまで労力を掛けずに滑り止めを得られたことで、「落ちても行く所がある」と思えたのは安心にもつながりました。「負担軽減」という意味で、マーク式のセンター試験はよく機能していたと思います。それをなぜ、負担を増やす方向に変えようとするのか不思議です。

負担軽減のための試験で表現力を測ろうとする意味が分からない

私は、マーク式と記述式の違いは、「表現力が測れるかどうか」だと思っています。もっと言えば、それ以外に違いはないのではないかと思っています。私としては、なぜセンター試験で表現力を測る必要があるのかと思います。負担軽減のための試験で負担を増やしてまで測る必要があるのかということです。センター試験足切りや滑り止めのためという感覚の私からすれば、受験生の負担を増やしたり、採点の不公平が発生する可能性を増やしたりしてまで記述式を導入して表現力を測るメリットが分かりません。

 

マーク式と記述式は答えの書き方が違うだけで、考える過程に必要な知識は同じですから、高校生活で学習し、身に付けておくべき学力が身に付いているかどうかは、マーク式のセンター試験でも測定できると思います。文科省としては、記述式を導入することで「思考力・表現力・判断力」を測定したいようですが、思考力と判断力については、マーク式で十分だと思います。表現力は各大学の試験で測ればいいのではないでしょうか。

「身の丈」の身は、経済状況ではなく学力や能力、意欲であるべき

英語の民間試験導入に関する問題を見たときには、「金が払えるかどうかで結果が変わるかもしれないなんて、教育としてどうかしてる」と思いました。個人の経済状況に関係なく平等に受けられるのが教育だと思います。どれだけ頑張っていても、能力があっても、お金がなければ試験すら受けられないのでは、努力ではい上がれない世の中になってしまいます。

学力や能力のある人、研究する意欲のある人が正当に評価されて、自分のしたい勉強や研究を思う存分できるような環境になってほしいと思います。

おわりに

きょうはセンター試験について書いてみました。

私の個人的な意見なので、特に気にしないでください(^_^;)「そうだそうだ!」と思ってもらっても「違うんじゃない?」と思ってもらっても、それはその方の自由です。

誰もが公平に試験を受けられるようになってほしいと思っています。

 

きょうはこれでおしまいです。

また来てくださいね!