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誤用は御用だ?~誤用について考える~

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こんにちは。めいです。

 

きょうは、どうでもいい話カテゴリー、久々の更新です。

どうでもいいですね(;´∀`)

どうでもいい話と言いつつ、きょうも日本語について書いてみようと思います。

私の勝手な意見を述べるだけなので、暇つぶし程度に読んでみてください(^_^;)

きょう取り上げるのは、誤用についてです。

 

目次

 

よくある日本語の間違い

テープ起こしをしていると、間違った日本語に出会うことがよくあります。

まずは、よくある例を見てみましょう( ・`ω・´)

難易度が高い

「難易度」は、皆さんが日常的に使っている言葉だと思います。

「物事の難しさの程度」という意味で使っている人が多いかと思いますが、一度よく見てみてほしいのです。

「難しい」だけでなく「易しい」の字も入っていますよね?

本来の意味は「物事が難しいか易しいかの程度」なのです。

ですから、実は「難易度が高い」という表現は意味が分からないんです(; ・`ω・´)

難しさの度合いが高いのか、易しさの度合いが高いのか、どっちか分かりませんよね(´・ω・`)

もし物事の難しさの程度が高いことを示したいのであれば、「難度が高い」とするのが正しいのです。

 

一番最初に、まず最初に

これもよく使いますよね。でも、誤用です(^_^;)

「最初」という言葉にそもそも「一番初め」という意味があるので、「一番最初に」では意味が重複してしまうわけです。

また、「まず」の意味は「最初に」ですから、これも意味が重複してしまいます。

「最も最初に」とか「最初に最初に」と言っていることになってしまうんですね(;´∀`)

 

的を得る

こちらは「的を射る」が正しい表現です。

同じ「物事の要点を的確に捉えている」という意味の「当を得る」という表現とごっちゃになってしまい、「的を得る」としてしまう方が多いようです。

ただ、逆パターンの「当を射る」という誤用はあまりされないような気がするんですよね。不思議なもんです( ˘ω˘)

 

けんけんがくがく

こちらは、「喧々囂々(けんけんごうごう)」と「侃々諤々(かんかんがくがく)」が合体してしまったことによって生じた誤用です。

合体しちゃう気持ちはとてもよく分かりますよね、これ(;´∀`)

ちなみに、「喧々囂々」は、「たくさんの人が好き勝手に騒いでうるさいこと」、「侃々諤々」は「盛んに議論されていること」という意味です。

どちらも人はたくさんいそうですが、質が違いそうですね(; ・`ω・´)

 

「誤用警察」になっていませんか?

よくある誤用を一通り見てきましたが、いかがでしょう。

「全部知ってた」という方もいれば「知らないことばっかりだった」という方もいるでしょう。

私がちょっとお伺いしたいことがあるのは「全部知ってた」かたがたです。

日本語をよーく知っているそこのあなた、「誤用警察」になっていませんか(; ・`ω・´)?

 

誤用警察

誤用警察は、私が勝手に考えた言葉です(;´∀`)

日本語の誤用にとても詳しく、正しい日本語にこだわり、文章という文章に誤用がないか探し回り、あれば指摘し、訂正させようと地の果てまで追いかける。

これが誤用警察のイメージです。

ここまでやっていないにしても、ちょっとした日本語の間違いを指摘して優越感にひたっている人はいませんか?

どきっとしたそこのあなた、ちょっとだけ考えてみてほしいのです(´・ω・`)

 

言いたいことが伝わればそれでいいはず

先ほど誤用の例をいくつか紹介しましたが、「難易度が高い」や「一番最初に」などは多くの人が使っていると思いますし、使っていても違和感はありませんよね(・ω・)?

なぜ違和感がないかというと、たとえ誤用であっても言いたいことが伝わるからです。

「難易度が高い」と聞けば「難しいんだ(;´Д`)」と思いますし、「一番最初に」と聞けば「ここから始めるのね? OK任せてd( ・`ω・´)b」という気持ちになりますよね。

それで良くないですか(; ・`ω・´)?

日本語をしゃべる目的って「正しく使う」ことではなくて、「楽しくコミュニケーションを取る」ことだと思うんです(´・ω・`)

正しさよりも楽しさが重要な場面は、誤用警察の出る幕ではありません(`・ω・´)

 

誤用は実は誤用じゃないときもある

もう一つ考えてみてほしいのが、「自分が誤用だと思っている日本語は絶対に100パーセント誤用だと言えるか」ということです。

絶対に間違いだなんて言えるものは、そうそうありません(-_-;)

例:的を得る

例えば、先ほどの「的を得る」についてちょっと調べてみると、実は誤用とも言い切れないことが分かります。

あまりなじみのないものなのですが、「的を射る」と同じ意味の表現に「正鵠を得る」というものがあります。

正鵠は、中国の言葉で「弓矢の的」「的の中心」という意味です。

的、得てるんですよ(; ・`ω・´)

正鵠を得るが正しい表現であるとすれば、的を得るも正しい表現として良いはずです。

正しさなんて曖昧なもの

こんなふうに調べてみると、誤用と思っていたものが意外と誤用でなかったりするのです。

あなたが正しいと思い込んでいる日本語は、実は正しいとも正しくないとも言えるものかもしれません。

「正しさ」なんて曖昧なものなのです(・ω・)

ですから、自分の「正しさ」を人に押し付けてはいけません(; ・`ω・´)

 

大切なのは見極めること

ここまで読んでいただくと、誤用に目くじらを立てていちいち取り締まることが愚かな行為であることが分かっていただけたと思います(;´∀`)

思い当たる節があった方もそうでなかった方も、ちょっと自分を振り返ってみてほしいと思います(*´ω`*)

ただ、私は誤用警察を撲滅したいわけではありません。

正確さが求められる場面では、誤用警察は大活躍です(●´ω`●)

たくさんの人に向けて発信する場面では、誤解のないように正しい日本語を使えることは大変重要なことです。

今は力を発揮するべきときなのか、そうでないのかをきちんと見極めて、存分に活躍していってほしいなと思っています(*´ω`*)

 

おわりに

きょうは、日本語の誤用について書いてみました。

単なる私の意見なので、あまり深く考えず、軽い気持ちで読んでくださいね(;´∀`)

ある場面では大活躍な誤用警察ですが、出動は必要なときだけにしたいものですね(●´ω`●)

皆さんが楽しく会話できるといいなと思います(*´ω`*)

 

きょうはこれでおしまいです。

また来てくださいね!