いまさら読書『人間失格』
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こんにちは。めいです。
きょうは、いまさら読書をお送りします。
いまさら読書がどういうコーナーかに関する説明は、第1回目のこちらの記事をお読みくださいm(_ _)m
may-work-autonomous.hatenablog.com
目次
めいによるうろ覚え解説『人間失格』
・太宰治
・恥の多い生涯を送ってきました
以上です(;´∀`)
どんどん点の数が減ってってないか(-_-;)?
太宰といえばこれと言っても過言ではないぐらいの代表作なんですけどね…
ほんま無知は罪やわ……私も今、恥ずかしさしかない……
しかし、めげずに読んでみました( ・`ω・´)
感想
正確なあらすじ
自分と周囲との感覚のズレに違和感を覚え、人間を恐れている主人公の大庭葉蔵。道化を演じることで学校生活をやり過ごすが、その心の中にはいつも人間に対する恐怖があった。
成人してもなお、正常な人間の営みになじむことのできない葉蔵は、複数の女性を巻き込みながら転落の一途をたどっていく。彼は一体どこに行きつくのか?
葉蔵が書いた第1から第3の手記と、それを発見した人によるはしがき、あとがきで構成されています。
関係ないけど気になったこと:マルクス経済学
話の本筋とは関係ないのですが、葉蔵は一時期、マルクス経済学の研究会に所属します。
マルクス経済学ってなんじゃらほい(・ω・)?
マルクスが人の名前だということはうっすら知っており、マルクスさんが唱えた経済に関する理論なんだろうなということは分かりました。
調べてみたのですが、難しくてちゃんと説明できそうにありません(´・ω・`)
専門家に怒られそうなのですが、私が理解できたことをざっくりまとめると、どうやら共産主義経済を目指している理論のようです。
ちなみに、「社会主義?」とも思ったのですが、社会主義と共産主義って結構違う考え方なのですね(; ・`ω・´)そこはとても勉強になりました。
気になった方はご自身でも調べてみてください(●´ω`●)
感想①しょっぱなから絶望的な気分になれること請け合い
この小説、最初から最後まで一貫してどんよりした空気が漂っているのですが、私が一番絶望的な気分にさせられたのは冒頭です。
冒頭では、主人公の葉蔵はずっと、駅にあるホームからホームに移動するための階段は遊戯場だと思っていたことが語られます。移動という目的のためではなく、階段を上ったり下りたりすることを楽しむためにあるのだと思っていたのです。
しかし、あるとき葉蔵は、その階段がただ移動するという目的のためだけの実利的なものだったと気付き、興ざめしたと続けます。
また、葉蔵は、敷き布団や枕カバー、掛け布団のカバーなどをとてもつまらない装飾だと思っていたけれど、これが案外実利的なものだったことに気付いたとも語ります。
私はこの部分を読んで打ちのめされた気持ちになりました。
だって、自分が楽しい、面白いと思っていたものは、実は存在していなかったと気付いてしまったということですよね?
しかも、自分が楽しいと思っていたものは、自分がつまらないと思っていたものと同じ程度のものだったということにも気付いてしまったということだと思うのです。
しょっぱなからいきなり、受け入れがたい現実をつきつけられた気分になりました(´・ω・`)
感想②自尊心は低いが自己愛は強い?
この小説の中で、葉蔵は、「おかしいのは自分」と確信しています。
「周囲の一般的な人間と同じように生きることができない自分がおかしい」という具合です。
「なんか周りと違うな…」程度の感覚は誰しもが持つものだと思いますが、ここまで「自分がおかしい」と信じて疑わないのは相当な自尊心の低さだなと思いました。
この自尊心の低さは何が原因なのだろう?と不思議にも思いました。
一方で、葉蔵はナルシストっぽいとも思いました。
葉蔵は、自分が普通の人と違っていることを決して周囲に気取られてはいけないと思い、おびえながら生きています。
でも、別に違っていることは悪いことでもないし、気付かれてもいいですよね(´・ω・`)?気付かれたらどうなるっていうんでしょう?
何も起きなくないですか(; ・`ω・´)?
周囲と自分の違いを、それがばれたらこの世が終わるというぐらい重大に捉えているというのは、ある意味自分をとても特別な存在だと思っているようでした。
自分を実際以上に素晴らしい人間であると捉えるタイプの自己愛の強さとは逆方向の自己愛の強さだなと思いました。
これもナルシストと言うのでしょうか(;´∀`)?
なにはともあれ、葉蔵という人間はとてもちぐはぐで、自分でも自分とうまく折り合いをつけられなかったのではないかなと思いました。
感想③葉蔵の不幸の本質
葉蔵は、自分がお道化を演じていることが周囲にばれてしまうことを極度に恐れていました。
でも、「普通にみんなにばれてたんじゃない(・ω・)?」と私は思いました。
お道化をわざとやっていることにはみんな気付いていて、その上で反応が違うのではないかなと思ったのです。
私の予測では、周囲には3種類の反応をする人がいたのではないかなと思います。
それは、
①お道化のわざとらしさに嫌悪感を持つ人
②お道化のわざとらしさに憐れみを抱いて笑っておく人
③お道化のわざとらしさの意味になど興味もなくただ笑う人
の3種類です。
葉蔵が恐れていた、お道化をわざとだと指摘する人は①かなと思います。
でも私は、圧倒的に③が多かったのではないかと思います。
多分みんな、葉蔵がどうしてわざとお道化をしているかなんて興味がなかったのではないかと思うのです。
恐らく葉蔵に必要だったのは、②がさらに進化したような人だと思います。お道化のわざとらしさに憐れみを抱いて、さらに「どうしてそんなことをしているの?」と尋ねてくれて、葉蔵がお道化をしなければならない理由を理解してくれる人が必要だったのではないでしょうか。
葉蔵は自分の不幸を「拒否の能力のない者の不幸」と後に語りましたが、私は彼の不幸は「出会えなかった者の不幸」だと思いました。
彼の不幸は、自分を理解しようとしてくれる人に出会えなかった者の不幸なのではないでしょうか。
感想④演じても演じなくても不幸
第三の手記で、葉蔵は、「世間とは個人」と気付きます。この気付きを得たことで、自分を偽って演じる必要がなくなり、少しだけ楽になります。
でも、幸せにはなれないんですよね(; ・`ω・´)
不運な出来事も重なり、結局は自殺未遂を繰り返してモルヒネ中毒になり、病院に入院することになってしまいます(-_-;)
今までずっと自分を偽って、演じ続けて生きて来た人がやっとそんなことをしなくてもよくなったのに、それでもなお幸せになれないというのが本当に救いがなくてつらい結末でした(;´Д`)
おわりに
きょうは、いまさら読書として、太宰治の『人間失格』をお送りしました。
この作品、主人公葉蔵は幼少期に性的虐待を受けていたという読み方もできるそうで、その視点を持つとまた違った読み方になりそうだな、とも思いました。
しかし、何しろ陰鬱な気分になる本でしたよ(´・ω・`)
次は楽しい本を読もうかな(・ω・)
きょうはこれでおしまいです。
また来てくださいね!